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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

幸せスパイラルと駄サイクルの違い(と少しだけ思うところ)

考え方 社会

褒められたいって思っちゃ駄目なのか?

このエントリーにこういうコメントが寄せられていたので

私なりに幸せスパイラルと駄サイクルについて考えてみました。
そんなに長文ではないです。
恐縮です。

まず幸せスパイラルとはなにか。
私も認識が曖昧でしたが、元は以下の様な意味だそうです。
幸せスパイラルとは (シアワセスパイラルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

誰かが誰かに親切をして幸せにする。そうしたらその人がまた別の人を助け幸せにする。そしてまた別の人へ優しい気持ちが巡っていく。その輪が廻ることによってみんなが幸せになれるという理屈。情けは人のためならずと同じ意味。

駄サイクルの方が有名ですかね。
石黒正数の「ネムルバカ」で登場した造語で、次のような意味です。
(ネムルバカは名作中の名作。何かを生み出すことを仕事にしている人は読むべき!)
駄サイクルとは (ダサイクルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

駄サイクルとは、ぐるぐる廻り続けるだけで一歩も前進しない駄目なサイクルのこと。
駄サイクルの輪の中で需要と供給が成立し、自称ア~チストが何人か集まって、見る→ホメる→作る→ホメられる→見る→ホメる(以下略)を繰り返している。
自己顕示欲を満たすための完成された空間。

幸せスパイラルはちょっと適用範囲が広いのでクリエイティブなことに絞って言うと次のようになるかと思います。


<幸せスパイラル状態になっているクリエイティブの輪>

  • 自分の作ったものを他人が褒める
  • 褒められることが刺激になってよりよいアウトプットを出す
  • お互いがお互いを褒め合い全体のアウトプットの質が高い

<駄サイクル状態になっているクリエイティブの輪>

  • 自分の作ったものを他人が褒める
  • 微妙な出来であっても褒められたことに満足して成長しない
  • お互いがお互いを褒め合い誰も成長せずアウトプットの質が低い


以降ではこの2つをそれぞれ「幸せスパイラルコミュニティ」「駄サイクルコミュニティ」と呼ぶことにします。
これってどちらかが真実でどちらかが嘘のような気がしますが、実際はどちらもよく見ますよね。
大学のサークルのような小さなコミュニティを考えてみてもどちらもあります。
幸せスパイラルコミュニティのサークルは確かにお互いがお互いをよく褒める。
すごくうまい人が別のすごくうまい人に「すごーい!なんでそんなに上手なの?」と本心から褒めて「私もがんばらなきゃ…」と自主練を繰り返す。
結果、みなが刺激しあってうまくなる。
駄サイクルコミュニティのオケの場合は、かなり技術的に未熟な人も「うまくなった?」と褒められる。
自分でもイマイチなことは知っているけれどとりあえず褒められたし周りも同じようなレベルだしそれ以上のレベルアップをしようとしない。
(現状維持的な練習や楽しい練習はする)
結果、ぬるま湯状態になってみな下手なまま。
オーケストラや漫研、軽音でもよくあると思います。

なぜ同じような褒め合う集団であっても差が出るのか。
幸せスパイラルコミュニティと駄サイクルコミュニティの差はどこで出てくるのか。
私はこのコミュニティの差はコミュニティの「安定しやすさ度」に現れてくるのではないかと思っています。
安定しやすさ度とはそのコミュニティに長くいる人が多いかどうかという指標。
幸せスパイラルコミュニティほどこの安定しやすさ度が低く、駄サイクルコミュニティほど安定しやすさ度が高いのではないでしょうか。
大学のサークルなんかでは卒業と同時にいなくなるのでこの「安定しやすさ度」がわかりにくいのですが、たとえばライブハウスなんかはわかりやすいです。
ライブハウスによって、有名バンドをバンバン排出するような幸せスパイラルコミュニティをもったライブハウスと売れないバンドマンの吹き溜まりのような駄サイクルコミュニティをもったライブハウスがあるのですが、駄サイクルコミュニティのライブハウスのメンツはなかなか入れ替わらない。
10年以上前からいるバンドが幅をきかせたりしている。
対して幸せスパイラルコミュニティのライブハウスだと新しい才能が訪れては去っていき、停滞しないバンドが多いのです。

なぜこのようなことになるかというと、コミュニティのレベルと個人の上昇志向の違いからくる差かと私は思います。
コミュニティのレベルってある程度は変動しますがなかなかそう劇的には変わらないものです。
オーケストラであれば「だいたいこのクラスの奏者が在籍する」というレベルがなんとなく定まっており、それは1年や2年では普通は変わらない。
そうなると上昇志向の強い人はどんなに高いレベルのコミュニティであれいずれはそこを去るのです。
実際高いレベルの音楽集団ほど人の入れ替わりが激しい傾向があり、低いレベルのところほどずっとメンバーが変わらなかったりする。
上昇志向のある人はどのような環境であってもそのコミュニティのレベルに達してしまうとより高いレベルのコミュニティに帰属したくなるし、上昇志向のない人はどのような環境であってもそのコミュニティのレベルに満足してしまう。
よって、幸せスパイラルと駄サイクルの違いは所属している人の上昇志向によって生まれ、それぞれのコミュニティの違いは安定しやすさ度にあらわれてくるということです。

幸せスパイラルと駄サイクルの違いについては以上ですべて述べたのですが、少しだけ私の思うところを付け加えます。
上昇志向の強い人達の集まりを「幸せ」と呼び、そうでない人たちの集まりを「駄」と呼びましたが果たしてそうなのでしょうか。
駄サイクルはあくまで駄サイクルの外から見た評価のことであって、駄サイクルの中にいる面々は得てして現状に満足して幸せなことが多いと思うのです。
下手すれば自分たちのことを幸せスパイラルだと思っている可能性さえあります。
ネムルバカでは上昇志向の強い野心家の主人公がそんな向上心のないアーティスト気取りの連中を揶揄するためにあえて「駄サイクル」と呼んでいたのですが、それってある意味すごく厳しい見方だとも思うのです。
その基準で行くと真の意味で「駄」ではないのは向上心を常に持ち続けるごくごく一部の人だけになってしまって、どこかで安定してしまうと即駄サイクル行きになってしまうのではと。
主人公(と石黒正数)はこの覚悟がないものはアーティストを名乗るべきではないという思いを込めて、現状に留まることをよしとする人たちのことを駄サイクルと呼んだのかもしれませんが、常に満足してはいけない生き方というのも相当覚悟がいりますよね。
そういう覚悟を常に持って毎日を勝負のように過ごすのと、気の合う仲間たちとお互いを褒めあって過ごすの、どちらが本人にとって幸せなのかな―とも悩むところだなあと思った次第です。
向上心のある人からすれば無い人はとても腹立たしく見えるんですけどね。
「精神的に向上心のない者はばかだ」というのは夏目漱石「こころ」の一節ですが、向上心をもつことと幸せになることは別なのかなとも思います。

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