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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

生活基準を測るためのカツカレー

食事 考え方 生活

今年のGWは旅行とかも行かず、大きな出費は無く過ごしました。
ちょっと豪華な子供の日のご飯を家で作ったくらいでしょうか。
例年に比べるとかなり安い出費です。

我が家の収入が多いのか少ないのかはわかりません。
もっとあっていいような気もするし、今で十分生活出来ているような気もします。
収入って上を見ればキリが無いですし、どの程度が幸せかって自分の中でハードルを決めるのも難しいですよね。
上昇志向も大事だけれど、ある程度のところで妥協しておかないと常に満たされない生活を送りそうでそれはそれで楽しくない。
じゃあどの程度の生活だと自分は満足出来るのか?
自分の中の高水準と低水準の境目はどこにあるのか。
私はよく自分の生活基準を考える際に、「いまカツカレーが食べたいときに食べられるくらいの生活は出来ているかな」と考えます。

この「カツカレー基準」は元ネタがありまして、糸井重里さんとしりあがり寿さんの仕事感に関する対談を見たことがきっかけでした。

ほぼ日刊イトイ新聞- 「ほぼ日」の就職論。

しりあがり:
変な話、会社に行ったら、それだけで、
当時、月に14万くらいもらえて。
それまでって、ほんとに金なかったですから。
たとえば、あの、就職したあとって、
カレー屋に入って、迷いなく
カツカレー食えるわけですよ。

糸井:
あ、カツを乗っけられるのね(笑)。

しりあがり:
そう。我慢しなくていいんですよ。
いちばん高いメニューでも、
食べたければスパーンって頼める。
あれ、ほんっとに幸せでしたね。

これを見て「あー確かにカツカレーを食べたい時に食べられる生活って憧れるし、それ以上のものっていらないんじゃ」と思ったんです。

私も大学生の時はカツカレーは気軽には頼めなかった。
カツに限らずトッピングって罪悪感のようなものがあったんです。
カレーでも十分おいしいしご飯になるのにあえてカツを乗っけるんなんて贅沢なんじゃなかろうか、と。
同じ理屈でラーメンに乗せる味玉とかもなかなか手が出ませんでした。
バイトもしてましたし、カツひとつ味玉ひとつくらいなんてことなかったはずなのですが、毎月切り詰めて楽器や本などもっと欲しいものを買っていたので、トッピングという贅沢品を頼むことには精神的な辛さがあったのです。

それが社会人になってからはほぼ躊躇無くカツカレーが頼めるようになった。
私がこの記事を読んだのは会社に入ってからですが、うんカツカレー頼める喜びあった!と非常に共感しました。
それと同時に、これから死ぬまで、カツカレーを食べたい時に食べられるくらいの生活はしたいなあとも思ったのです。
今際の際でカツカレーを食べたいかどうかはわかりませんが。

例えばちょっと出費が続いてサイフの中身が減ってきた。
カレー屋に外食した時に「今月は厳しいからカツカレーはやめとこうかな…」と考える。
そのとき、私は生活基準が理想より下がってきているなと感じます。
幸せを感じる生活の基準がどこにあるかは人によって違うでしょう。
ある人は「年に一回ディズニーに行けるくらい」かもしれませんし、ある人は「月一で寿司を食べに行けるくらい」かもしれません。
自分にとってちょうどよい生活基準を見定める時に、こういう生活と地続きになっているものを目安にするのはすごく分かりやすいなあと思うのです。
「いい生活ができるように頑張ろう!」よりも「カツカレーが食べられるくらいには頑張ろう!」の方が具体的だしやる気が出ますしね。

明治 男の極旨黒カレー 200g×5個

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