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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

理想のハードルを下げる勇気

以下の増田を読んで。

何となく生きていくのはいいことか

この感覚すごくよくわかります。
年を取るにつれて自分ってもっと可能性あったよな、なんで努力してこなかったんだろうともやもやする。
同じ世代や年下の若い人たちが活躍しているのをみて歯噛みする。
理想と現実のギャップに苦しむんですよね。

私はブルーハーツハイロウズが好きなのですが(クロマニヨンズはあんまり知らない)その中でも特に好きな「不死身のエレキマン」にこういう歌詞があります。

ああ 自分が自分の世界の 主人公になりたかった
子供の頃から憧れてたものに なれなかったんなら大人のフリすんな
第一希望しか見えないぜ 不死身のエレキマン

学生の頃にこれを聞いた時は、学生からみても青くせえ歌詞だなと苦笑していたのですが、年をとるにつれてこの言葉が幽鬼のようにまとわりついてくる。
なにかあるごとに「主人公は俺なのかなあ…」とか「子供の頃の自分に顔向けできるんだろうか」と思うようになりました。
現実を意識すればするほど理想とか夢が浮かび上がってきます。

上記の増田に「あるがままでいいんだよ」とか「生きてるだけでまるもうけ」とかいうブコメもついていますが、おそらく書いた人はそんなことは言われなくてもわかっているのでは。
こういう考えを抱いている時は慰めとか気休めは欲しくないんじゃないでしょうか。
走り出したくてしょうがないエンジンに水をぶっかけるようなことはやめていただきたい、と私であれば思います。
もっと叱り飛ばしてほしい。
叩きのめしてほしい。
いかに怠惰な人生を送ってきたかを諭してほしい。
エンジン全開で走り出させてほしい。
優しい言葉をかけているみなさんには申し訳ないのですが、これは自分の理想像が高い限りしょうがないと思うのです。

私はあるがまま生きればいいとは思っていません。
生きてるだけでまるもうけ、というコンセプトを第一にして生きれば人は弱い生き物だから99%自堕落な生活をしてしまう。
その結果、後悔してしまうのが怖いからです。
ただ、満足を知らない生き方もしてはいけないと思います。
いわゆる「足るを知る」が必要だとは思うのです。
小さな達成感や満足感を感じながら生きていかないとどんなにがんばっても追いつかない理想を追うことになるのでそれは不幸になってしまう。
そうならないためには自分で自分に適度なゴールを設定できるかどうかが重要になってきます。
あんまり目標が高すぎると足るを知ることができずに不満を常に抱えてしまう。
逆に「生きてるだけでいいじゃん」のようなあまりに低い目標ではつまらない。
世の中には生まれもっての境遇で今日この日を生きるだけでも精一杯の人もいて、そういう人たちが「生きてるだけでまるもうけ」というのはわかるのですが、それはその人のハードルであって。
上下どちらの意味でも自己評価を見誤ってはいけないわけです。

現実に満足できない人が、「本当の私はこんなはずじゃない」と言ったりもしますが、私は本当の自分なんてものは存在しないと思っています。
存在するのは「理想の自分」と「現実の自分」。
理想の自分と現実の自分が近ければ近いほど満足感は高い。
そして理想の自分にどうがんばっても近づけない場合(年齢や才能など)、永遠に苦しみ続ける。
それを考えると自分に適当な理想像を持つことって大事だと思います。
ただ、理想と現実を近づけるためには理想の方を現実に寄せて行くという方法もありまして。
いわゆる「夢をあきらめる」ということです。
現実が変えられないのであれば理想の方を変えるしかないのです。
ちなみに理想の自分がはっきりとしていない場合、明確な理想像がないのでどんなに努力しても理想と現実が一致せず苦しんでしまいます。

同じくロックの歌詞からの引用ですが、スネオヘアーが作った「NO.1」という曲の中でこういう歌詞があります。
この曲も大好きな曲です。

uno 諦める弱さ
諦められない弱さ

すぐに理想を下げてしまうのも弱さだけども、理想を下げることができずダラダラと日々に不満をこぼして生きさらばえてしまうのも弱さだ、と。
逆に言えば、現在の自分の立ち位置を見て自分を正当に評価し理想を下げることって勇気だし、理想の自分になれないともがく人にこそその勇気が必要だと思うのです。

人生を半分あきらめて生きる (幻冬舎新書)

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