指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

強いこだわりは自己肯定感を生む

引き続きジョブズの伝記を読んでいますが、ジョブズのひとつの側面として食への徹底したこだわりが挙げられていました。
ベジタリアンな上に意味不明な味の判断基準を持っていたりして(他の人は全く区別がつかない2つのアボカドを、こっちは最高だがこっちは最低だと言ったり)周囲を困らせていたそうです。
膵臓癌の手術後にタンパク質を何度かに分けて取らなければいけない時も、スムージーじゃなければ嫌だ、それも1度に5種類作れ、その中で味がいいのをその時の気分で選ぶからと言ったりして大変だったとか。
このエピソードで思ったのですが、ひとつの食べ物に執着する人は味や栄養と言ったフィジカルな要素よりも、精神的安定のために固執していることが多いんじゃないでしょうか。
もっと突っ込んで言うとこだわりは自己肯定感と強い結びつきを持っていると思うのです。

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食べ物への固執で思い出すのは羽海野チカの「三月のライオン」に出てくる天才棋士宗谷冬司。
プロ棋士のタイトル戦といえば食事やオヤツを自由にオーダーできる豪華っぷりも有名ですが、宗谷はかならず紅茶を飲む。
それも砂糖ではなくブドウ糖を大量に入れて飲む。
他の棋士からは「脳のエサ」と揶揄されるほどのアレっぷりですが、「あーこういう食べ物に異常にこだわり持ってる人っているよなー」と思いました。
確かに天才肌で、かつ自分に厳しい人に多い気がする。

糖分を取りたいなら別にブドウ糖じゃなくてもアメやクッキーでもいいわけで。
でもこういう一つのものに固執するのって、なんというかそういう「モード」に入るための儀式みたいなところがあると思うんですよね。
リポビタンDを飲むのはタウリン1gを摂取したいというよりも、「リポビタンDを飲んだ人」になりたいからではないでしょうか。

もっと言えば、強いこだわりは自分を自分たらしめるものでもあるのです。
むかし見たテレビ番組で宗教にはまった人の洗脳を解くプロの話があったのですが、宗教にはまっている人がなかなか抜け出せないのは、宗教を否定するとそれにはまっていた自分を否定することになりアイデンティティが崩壊することを恐れてしまうためだそうです。
このまま宗教にはまっていると身を滅ぼすということは頭では分かっているものの、最後のためらいの薄皮一枚がなかなか破れない。
それほど自己を否定するというのは難しいことなのかもしれません。

逆に言えば、日々のこだわりや習慣を続けることが自己肯定を生むとも言える。
いつもと同じ自分であるために日々のこだわりを遂行することで、自分になれる安心感が得られるのではないでしょうか。
前の試験勉強の時は緑茶を飲みながら勉強するといい成績が取れた。
緑茶を飲むと集中力が高まるのかもしれない。
今回も緑茶を飲んでみよう。
そのような思い込みの力で本当に集中力があがり、試験結果もよくなるというような成功体験を積み重ねることでどんどん自己肯定感が高まるという好循環が生まれます。

こだわりって他の人から見るとなんでそんなことっていうことも多いですが、こだわりを理屈で考えようとするからそもそもダメで、いったんそのレールに乗ってしまったらもうそれはその人を形作るものになってしまうんですよね。
体に悪いこだわりがなかなか辞められないのも、根本は自己否定が難しいからだと思います。
体や生活に影響のないこだわりであれば、自己肯定感も高まりますしいいと思うんですけどね。

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