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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

ノイズミュージックがクラシック音楽から地続きであることの解説 (大友良英出演「題名の無い音楽会」を見て)

音楽 考え方

いまさらですがちょっと話題になっていた大友良英出演の題名の無い音楽会をみました。
いやあ面白かった。
「地上波でメルツバウが流せるなんてうれしいなウヒヒ」と興奮しながら自分の持ってきたノイズミュージックのCDをかける大友さんと終始興味なさそうで不機嫌だった指揮者の佐渡裕とのテンションの落差が最高。
それにしてもノイズミュージックを受け入れられない佐渡裕の度量は狭いなあと感じました。
クラシックをやっている人だからノイズミュージックを理解できないかと言ったらそんなことは絶対にない。
クラシックとノイズは地続きなんです。
少々長くなりますが、クラシックからノイズミュージックに至るまでの系譜と、それぞれの楽しみ方の違いを私なりに解説したいと思います。

BiS階段

BiS階段


音は純音、楽音、躁音という3つの種類に分けられます。
純音は倍音を含まない音、つまりただのサイン波。
楽音は倍音を含む振動に一定の周期がある音、つまり音階のあるピアノやバイオリン、トランペットのような音。
躁音は振動に周期性が見られないノイズのような音です。
シンバルやスネアのように音階の無い打楽器は躁音に分類されます。

19世紀、古典派と呼ばれるモーツアルトやベートーベンの時代のオーケストラでは打楽器はあまり使われませんでした。
音楽はバイオリンなどの音階のある楽器が中心になっており、音階の無い打楽器は使われたとしてもシンバルやトライアングルなど限られたごく少ない種類のものが使われるのが通常。

だんだんとオーケストラ編成が派手になってきて規模が大きくなってくると、より大きな音や聞いたことの無い音を出すために数々の躁音を生み出す打楽器が取り入れられるようになりました。
しかしこれらの打楽器は純粋にノイズを楽しむものではなく、情景に合わせた効果としての音を出すためのものが多かったように思います。
リヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲では風の音を出すウインドマシンという装置や雷の音を出すサンダーマシンという装置を使用してアルプスの荒天を表現していました。
レスピーギはローマの松で「鳥の声の入ったレコードを再生する」という指示を出しており、実際に楽譜にはこのレコードが付属していたそうです。
あくまで演出や迫力増強としての使い方で、まだまだノイズを楽しむ時代ではありませんでした。

R.シュトラウス:アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲

戦前戦後のあたりから世界で無調のオーケストラ作品が書かれるようになります。
ジャズもビバップやフリージャズなどどんどんコードがぐちゃぐちゃなものが増えてきて、シンセサイザーエレキギターなどの電子音楽の台頭もあいまって楽音と躁音との区別がつかない音楽があふれるようになってきました。
このころから効果としての躁音ではなく、音楽性、芸術性をもった躁音がクラシック音楽にも取り入れられてきたのではないでしょうか。
武満徹の代表作「ノーヴェンバーステップス」では尺八と琵琶のカデンツァ(アドリブソロ)がありますが、ここでは邦楽の演奏技法である「障り」を最大限に生かした演奏がされるのがつねであり、ジャカジャカフォシフォシバチバチというジミヘンの星条旗のような静と動のノイズが音楽的表現として取り入れられています。

武満徹:ノヴェンバー・ステップス

武満徹:ノヴェンバー・ステップス

本当にカッコいいです、しびれます。
もちろん武満以外にも芸術性豊かなノイズを取り入れた純粋音楽が世界でたくさん生まれました。

近年では計算機の急速な発展によりコンピューターで簡単にノイズが発生させられるようになって多種多様なノイズが簡単に作成できるようになり、楽曲の中にも取り入れられるのが当たり前になりました。
この渋谷慶一郎の作品なんかノイズだらけでわざと音を潰したりもしてますが超カッコいいです。
(録音の音質が悪かっただけかもしれませんが)

イニシエーション(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

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もはやクラシックであれなんであれ、音楽にノイズって含まれていて当たり前なんです。
それをちょっと耳当たりが悪いから「俺にはちょっとねー」って顔をするのはどうなんですか、世界的指揮者の佐渡裕さん。

ただ、いわゆる古典的なクラシック音楽とノイズミュージックとで楽しみ方が違ってくるのもまた事実だとは思います。
昔買ったレスピーギのCDのライナーノーツに「従来の西洋音楽は秩序の中に自由を見出していた。レスピーギは自由の中から秩序を探し出している」という言葉が書かれていました。
古典的な西洋音楽では決まった音階の音を決まった大きさで決まった長さだけ演奏するという厳格なルールがあった。
しかし演奏家はその楽譜という秩序の中から表現を掘り出して行き芸術にしていったわけです。
しかし近代になりどんどん秩序はあいまいになり、音階や楽譜という観念がどんどんと自由なものになってきた。
コードもわけわかんないしリズムもあるかないかわからない。
その中にも明確に「いいもの」と「悪いもの」の区別があって、フリージャズだってノイズの即興演奏だってそうだと思うのですが、与えられた自由が大きすぎるがゆえにその中に気持ちよさのルールを探す芸術性が生まれたのだと思います。
私はこのこの言葉が大好きでたびたび思い出すのですが、ノイズミュージックはまさに「自由の中に秩序を見出す」いい例だなーと感じました。
自由にあふれて生き生きとしている大友さん、かっこよかったよ。

1930

1930

アクシス・ボールド・アズ・ラヴ

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