指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

港としてのタモリ

いまさらですが録画していたいいともグランドフィナーレを見ました。

すごかったですね。
もう生きているうちには見られないだろうなという芸能界の大御所大集結に興奮し、レギュラー陣のスピーチでは本当にタモさんが愛されていたんだなと聞き入ってしまいました。
なかでも香取くん、中居くんのスピーチは胸にぐっと来たのですが、一番心に残ったのは笑福亭鶴瓶の言葉です。
タモさんは港みたいな人や。
この人に会いにこれる番組作らなアカンでフジテレビ。
「港」という言葉のチョイスがタモさんをよく表していて、いいともや芸能界におけるタモリの立ち位置がすとんと腑に落ちました。
芸能界でも仕事でもなんでもそうですが、船の側面が大きい人と港の側面が大きい人がいますよね。

 

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 鶴瓶はタモさんをいろいろな人が集まる港と評しましたが、いいともに出てくる旬の芸能人や文化人はさしずめ船と言えるでしょう。

SMAPダウンタウンのように出て行った来た時は小さかったけど大きくなって帰って来たタンカーのような超大型船舶もいます。
タモリ倶楽部のメンツのように小さいながらもニッチな隙間を埋めて来た特殊な船もあるでしょう。
それらがすべて停まれるような大きな度量を持った港がタモさんというのは納得です。
 
人には船という側面と港という側面があると思うんです。
指揮法の有名な先生に斎藤秀雄という人がいます。
彼は演奏家としてはそれほど知名度は高くないのですが、斎藤メソッドという有名な指揮法の生みの親で、指揮者を志す物でその名を知らない者はいません。
世界に通用する指揮法を日本で始めて確立し、それを体系立てることに成功した偉大な人物です。
彼の元からは小澤征爾をはじめとして名だたる指揮者が旅立って行きました。
斎藤メソッドの教え子が偉大な功績を残し、それを受けて優秀な指揮者の卵が斎藤の元に集まる。
まさに船が停まっては旅立って行く港だったわけです。
もちろん優秀な若者が彼の元に集まったのは、斎藤メソッドの素晴らしさだけではなく彼の人柄や人間性もあったのでしょう。
教え子たちが斎藤秀雄をしたって設立したサイトウキネンオーケストラはいまでも日本で有数のオーケストラとして活動し続けていますし、斎藤秀雄が亡くなる直前にサイトウキネンを指揮した時は、奏者が斎藤の長くない寿命を察してすすり泣きながら演奏したとも言われています。
タモさんの最後のスピーチを聞きながら、ちょっと斎藤秀雄の最後の指揮のエピソードを思い出しました。
 
人は船か港かどっちかになってしまうのではなくて、その割合があるとは思うんです。
タモさんだって斎藤秀雄だって大きな港でありましたが、船である一面ももっていました。
タモさんはテレビにで続けていますしね。
世間からは港より船の方が大きく立派に見えます。
テレビや舞台に出るのは船ばかりですし、港はその存在がわかりにくいので港がひとつなくなったところでほとんどの人はそれに気づかないでしょう。
しかし港がなければ船は出航できません。
出発するのはかならず港からであり、帰ってくる場所もまた港です。
そういう心のよりどころの必要性を感じたからこそ、鶴瓶は「タモさんに会える場所を作らなあかん」と言ったのでしょうし、サイトウキネンはできたのだと思います。
大きな船になるというのは素晴らしい目標ですし皆があこがれますが、船が本当に必要としているのはタモさんのような港で、船に対して港は少ないんだなあといいともグランドフィナーレを見て改めて感じました。

 

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