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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

平等が生む混乱とカオス

音楽 考え方 社会

このブログの話のタネの常連になっている感はありますが…先週のスコラ坂本龍一音楽の学校で非常に興味深い話が出てきていました。

先週は近代のクラシック音楽のシリーズ第1回目ということでシェーンベルクなどの十二音技法を取り上げる回でした。
近代の音楽は主に20世紀。
暗い戦争の時代を象徴するような陰鬱さと新しい技術への希望が生まれた、音楽史の中では一二を争う変革の時代だったと思います。
その近代の音楽が20世紀の世界の様相とリンクして面白いよねという話でした。

十二音技法は全ての音を平等に扱うという音楽手法です。

それまでの西洋音楽では、調によって音階の重要度が違っていました。
ハ長調であれば主音はド。
最も大事な音で、和音はドから始まりドに戻って来ることが基本となります。
この小さい単位をカデンツァといい、カデンツァの組み合わせで曲が構成されているのです。
そのカデンツァの中でも、ドの次に重要なものはソ、次はファ…というように12個の音に順列がついています。
この順列が低いもの、つまりドから遠い和音ほどその場でとどまることが難しくなり、次のコードに移って安定したいという力が強く働きます。
そしてカデンツァの中でドに戻ることができるとゴールでやっと安心できるわけです。
ハ長調はいわばドが支配する世界と言ってもいいでしょう。
 
対して十二音技法では全ての音が等価に扱われます。
ドからシまでの12個の音を並べた音列を繰り返したり和音にしたりして曲を作ります。
シェーンベルクを聞けばわかりますが、十二音技法はいわゆる一般的な現代音楽のイメージに近い響きがして、とっつきづらく気持ち悪いサウンドがします。
 
番組の中で十二音技法の解説を聞いた小沼さんがふと、こう言っていたんですよね。
(記憶だけで書いているのであいまいです)
  • それまでの西洋音楽では音に明確な順列があり調性の取れた響きがしていた
  • 十二音技法では全ての音が平等に扱われる革新的な手法だったがその結果生まれた音楽は混沌としたいびつな響きだった
  • これは20世紀の共産主義勢力の台頭にもかさなるところがあって時代を反映している気もする
そういう見方もあるのか…と新鮮な驚きを感じました。
 
平等とかみんなが一番ってなんとなく良いもので理想の世界のような気もするのですが、音楽における平等はかえって混沌を呼び、平等という秩序を作ることでドロドロとした生理的に不快な音楽になってしまう。
それってソ連や中国の共産主義的な動きに非常に近いと思うんです。
十二音技法って古典音楽よりも決まりが厳しいんですよね。
平等を与えることによりよりキツイ規則で縛らなければいけなくなるのも共産国家のようでなるほどーと思いました。
 
全ての物を平等に扱うのではなく、小さなグループの中でもリーダーや指導者を決めてしまった方が結局はそこに安定とかが生まれやすいんですよね。
調性の取れた音楽であればいつかはここに帰ってくるぞという力のフローが見えやすいんですが、十二音技法だとそれが見えなくて常に不安を感じさせるんです。
大きな力や長いクレッシェンドはわかるんだけど、それが頼って良い物なのかどうかがわからない。
この十二音技法が感性ではなく技術を主体とした技法というのもなんだか先端技術に振り回されている20世紀以降の世界の縮図かもなあと思いました。
 
独裁者はイヤですが、頼る物のない世界もそれはそれで無秩序になってしまうんですね。

 

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