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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

夢と言う名の逃げ道

某部活の強豪校のドキュメンタリーがテレビでやっていたのでぼーっと見ていました。

その学校は強豪校であるものの、全国一位になったことはなく、全国大会にいける割合も半々くらい。
今年こそは念願の優勝を!という目標を立てて、かなり年配の顧問の先生と高校生と一丸となって取り組んでいる様子が取り上げられていました。
結局今年も優勝は逃したのですが、番組の終盤に顧問が「来年こそは優勝します。優勝は私の夢ですね」と答えていたのがもやもやっとして、なぜだろうとしばらく考えていたのですが、ようするに夢という言葉がひっかかったのかな、と思いました。
 
夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神

夢をかなえるゾウ2 ガネーシャと貧乏神

 

 

 「夢のまた夢」という言葉もありますが、私は夢は「叶わなくてもしょうがないな」程度の温度感を持った欲求だと思っています。

人間、本当に叶えたいことは夢という言葉を使わないような気がするんです。

友人の小説家は大学生時代にデビューしたのですが、デビューするのが夢などとは一切言わず、何年後までにはデビューし、何年後までにはこういう本を出すと明確な道のりを熱く語ってくれました。

この時のビジョンがあまりにも具体的であったため、自分が叶えたい未来へのイメージが見えている時に人は夢という言葉を使わないんだなと感じたことを今でも強く覚えています。

 

道のりが見えない時に夢という言葉を使うということと繋がってくるのですが、夢を叶える時間制限というものもあると思うのです。

中学生が「東大に入るのが夢です」と答えると頑張れよ!と言いたくなりますが、センターを終えた東大受験生が「東大に入るのが夢です」と言っているとおいおいと思います。

これが「東大に絶対入ります」だったら中学生でも高3でも違和感を感じないとと思います。

冒頭の顧問の話もそうですね。

もういいお年ですがいまから夢を叶えるんですか?と正直思ってしまいました。

夢は叶うまでに時間がかかるものという共通認識が私たちの中にあるのではないでしょうか。

 

こないだ読んだ「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」というマンガの中でも「今年みんな35じゃん?夢とか言ってるのヤバイと思うんだ」というセリフがありましたが、夢は叶えるために相当の努力と時間が必要で、だからこそ「叶わなくてもしょうがない」という意識がどこかにあると思うのです。
そして叶わなくてもしょうがないからこそ逃げ口上に使われる。

「○○になるのが夢なんだー」という言葉の裏には「まあなれるとは思ってないけどね」というニュアンスが隠れている気がします。
(ちなみに「カフェで〜」は元サブカル畑の人は必読だと思います。後味は悪いですが後頭部がムズムズするなんともいえない読後感です)

 

夢を持つことが悪いとは思いません。

誰だって、本当にやり遂げられるか不安なことだってあるでしょうし、理想を語りたい時だってあるでしょう。

しかし本気で実現したいことであれば、どこかのタイミングで「夢」という言葉を使うことをやめなければなりません

先ほどの受験生の例であれば、いつかは「東大に絶対入ります」と言って本気にならなければならない。

夢を語る子供のままでは夢を叶えることはできないのではと思うのです。

 

 

 

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