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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

努力の世代・暗闇の世代・ネットの世代・無力感の世代

この記事を読ませていただきました。

 

「努力」についてまわる高度経済成長期の呪い - シロクマの屑籠

 

努力を強要する世代の時代背景について書かれており面白く興味深かったです。

私の意見としても、昔のほうが努力が報われやすい時代だったのかなーと思います。

ズイショさんがブクマコメントでファミコンのことを書かれていますが、昔のゲームは物量があるだけで価値のあるものでしたし、細かいドット絵やこったポリゴンを作れば作るほどほめてもらえていたと思うのです。

いまおもしろいコンテンツを作るのは昔よりもはるかに難しく、努力ではなくアイデアとか発想の問題になってきていますよね。

高いビルを作れば喜ばれる時代は終わりました。

 

天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある

天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある

 

 

私のすごくざっくりとした世代感覚なのですが、80年代まではまだそういう努力至上主義というかマッチョな思想がはびこっていたと思うのですよ。

肉食なんて言葉が無いくらい誰もががつがつしていて、バブルとともに浮かれていた。

土地を買えば必ず値が上がり、残業すればほめられた。

裏を返せば努力が報われた時代だったともいえます。

 

90年代に入るとバブルが崩壊し、みな誰もが「ちょっと待てよ何かおかしいぞ」と慎重になりだしました。

阪神大震災、オウム、酒鬼薔薇など暗い事件も続き、ノストラダムスの終末思想に飲み込まれていった。

このくらいの時代から徐々に努力=成功の図式が崩れてきたのではないでしょうか。

まだ80年代のなごりの努力至上主義はありましたが、それよりもパワハラや欝による自殺など、努力を強制していたことによる弊害が見えてきた暗闇の世代だったと思います。

 

00年代に入ると終末思想の反動でやや世相は明るくなった気がします。

特に大きかったのがインターネット環境の普及です。

ITバブルもおきて、やや80年代のような「新しいことができる!」という期待感が持てた世代だったかもしれません。

このころの青少年をゆとり世代とバカにする人たちも出ましたが、私はこの時代に思春期をすごせた人たちはかなり幸せだったんじゃないかなあと思うのですよ。

大人たちも知らない広大な新大陸を発見したような。

不景気の影はまだ引きずっていましたが、家庭でも職場/学校でもないインターネットというサードプレイスができたのは未来への希望につながった気がします。

だから私は実はこの世代は80年代的マッチョ感を少し持っていると考えています。

やればできることがたくさんあって、努力も報われるということを体感できていた世代ではないでしょうか。

 

しかし10年代に入るとITバブルもはじけて大体インターネットでやれることの天井が見えてきてしまった。

沢山の人がネット上にあふれてしまったからこそ、自分の限界もわかるようになってしまいました。

ニコニコ動画にアップされる自作曲だって上位のものはプロと遜色ないできばえですし、pixivはうまい人ばかりが目立ちます。

努力がほめられるハードルは格段にあがってしまい、「どうせ自分なんて大衆のひとりなんだ」「努力しても到底およばない」と無力感を感じることが多くなったのではないでしょうか。

さとり世代という言葉も出ましたが、まさに限界を悟ってしまったわけです。

 

このような感じで、私は努力が報われる世代と努力が報われない世代が交互にやってきていた気がするのです。

いびつな世代間のギャップが「努力せよ」問題をややこしくしているのかなあとも思いました。

 

00年代の格差ゲーム

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10年代カルチャー(仮) (星海社新書)

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