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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

死んだ人にはもう会えない

レイハラカミがリミックスしたASA-CHANG & 巡礼のSenakaを聞いているとそんなことをふと思いました。

レイハラカミは3年前に40歳という若さで亡くなりましたが、一度はライブを見ておきたかったなあと。
人が亡くなると悲しいのは、その人とその人から発信される何かにもう会えないからなんですよね。

 

Lust

Lust

 

 

レイハラカミのライブは行こうと思えたらいつでも行けたと思うんです。

神様が「来月レイハラカミ死ぬよ」と教えてくれたら色んなことをほっぽり出して会いに行っていたでしょう。
でも、そうはいかない。
人はいつ死ぬか分からないし、いつ会えなくなるかわからない。
 
レイハラカミ特有の暖かい電子音を聞いていると、ごめんよー会いに行けなくてと何だか謝りたくなりました。
いつでも会えるという怠慢が、会うための優先度を下げていった。
本当はいつでも会えるかどうかではなく、会いたいかどうかを優先させなければならないのに。

ホリエモン糸井重里との対談でスティーブジョブズに会えなかったことを強く後悔していました。
 
 
(堀江)
だから、40の誕生日で決意しました。
とにかくこれからは積極的に人と交わって行こうと。 
(糸井)
後悔、ありましたか?
(堀江)
ちょどそのころ、
スティーブ・ジョブズが亡くなったんです。
ほんとうに思ったんですよ。
「スティーブに、会っとけばよかった」って。
(糸井)
ああー。
(堀江)
「おれ、会うチャンスはあったよな。
自分から会いたい!って動いていたら、
ぜったいに会えてたよな」って。
 
人が亡くなったあとにはあらゆる後悔が生まれると思うのですが、「もう一度会いたかった」という人は多いのではないでしょうか。
 
会おうと思えば会える。
しかし会おうと思っている間にその人は死んでしまうかもしれない。
ならば会いたい人には労力をいとわず会いに行くべきだったんだなと考えました。
レイハラカミに関しては今となってはもう遅いですが、私には会いたい人はまだまだたくさんいます。

 

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

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ボールのようなことば。 (ほぼ日文庫)

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