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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

録音を嫌う音楽家

音楽 考え方

スコラ音楽の学校で、ジョン・ケージ4分33秒の人)は「レコードは絵葉書にすぎない」と言って録音を嫌っていたという話が出ていて、ほうほうと興味深く見ていました。

いまじゃ録音は音楽じゃないなんていう人はほぼいませんが、なんとなくケージの言うこともわかるんですよね。

ケージは録音によって音楽の持つリアルタイム性が排除されることを嫌がっていたのではないでしょうか。

 

TASCAM リニアPCMレコーダー ブラック DR-05

TASCAM リニアPCMレコーダー ブラック DR-05

 

 

レコードの登場によって、録音でどの場所のどの演奏も再現できるようになりました。

それまで音楽は記録することが出来ず、その瞬間しか存在し得ないものであったことを考えると、革命的進歩です。

自分の業績をより正確に後世に伝えることができるのですから。

しかしケージを含む何人かの芸術家は録音を嫌がり、その瞬間に放たれた空気の振動のみを音楽としました。

それはなぜか。

理由を私なりにかんがえてみました。

 

ひとつは、音は文字に比べて情報量が圧倒的に多いということ。

文章の場合であれば口伝から文字起こしをしてそれを朗読する際の情報のロスが少ないです。

誰かが喋ってそれをそのまま記録するのであれば、誤差はあるものの大体だれがやっても結果は同じでしょう。

しかし音は録音をする位置によっても聞こえ方が全く変わるやっかいなものです。

当時の録音技術ではノイズも多く、埋れてしまう音もたくさんあったでしょう。

自分が作った音楽が、想定している聞こえ方にならないことが不服、というのは確実にあったと思います。

 

もうひとつは、文学に比べて音楽が録音と再現が出来るようになったのはごく最近という事実です。

文章は文字が生まれた瞬間から記録が可能になりました。

象形文字を洞窟に掘っていた時代から記録は始まっていたわけです。

それとひきかえ音楽はレコードが出来るまで記録ができませんでした。

もしかしたら作曲家や演奏家は音楽が自分の手元から離れることに慣れていなかったのではないでしょうか。

リアルタイムの音楽は(ネガティブにとらえると)逃げにも使えるんです。

本番は会場一体となってテンションが上がり熱狂の渦だったが、録音を聞いてみると意外とアラが目立ち「あれ?」ということもよくあります。

演奏家にとっては「後で聞き返してミスを指摘されるなんてたまったもんじゃない!」というわけです。

 

人類の歴史のうちの長い間、音楽は記憶の中でしか残らないものでした。

音は現れたと思ったら消える虹のように捉えようがなく、その刹那さも含めて音楽という意味であったのかもしれません。

もしそうであれば音楽の定義はレコードが出来てから変わったといえます。

録音された音楽をコレクションするのもまた楽しいですが、コンサートやライブに行くと、やはり刹那さあっての音楽だよなあとも思うのです。

 

 

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