読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

全聾作曲家代筆問題に思う「芸術的価値」と「ゴシップ的価値」

佐村河内さんの作品がゴーストライターによる代筆だったと知って驚いています。

耳の聞こえない作曲家として一躍脚光を浴びた佐村河内さんですが、代表作の交響曲第1番「ヒロシマ」も彼の作ではなかったようです。
「騙された!CD買って損した!」という空気が渦巻いているのですが、作曲者が違っても作品は変わらないはず。
なぜ耳が聞こえるとわかった途端に作品の評価が変わったのでしょうか。

 

佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA

佐村河内守:交響曲第1番 HIROSHIMA

 

 

1年ほど前、作曲家の友人が「佐村河内っていうすごい人がいるんだよ!」と教えてくれたのが、彼の作品を聞くきっかけになりました。

名前だけは4年ほど前に聞いたことがあり、珍しい名前なので記憶に残っていたのですが、耳が聞こえない中作曲されたという交響曲が話題になっているのは初めて知りました。
 
その友人との作品への共通の見解は、
  • 曲調はやや古臭く昭和日本の「現代音楽」の匂いがする
  • 三善や八代っぽく、現代の「現代音楽」から見ると古くて芸術性の面では楽壇には上がらないであろう
  • ただ(ゲーム音楽などを作っていただけあって)分かりやすくて情景が目に浮かぶ
  • 加えて耳が聞こえないというゴシップ要素を加味して聞くと面白い
というものでした。
芸術性はそれほど高くない(というか古い)のですが「耳が聞こえない悲劇の作曲家」という映画のサントラとしては面白いという印象です。
芸術性自体はそれほど高くなく、吉松隆のように放送業界や劇伴音楽として最大の魅力を発揮するであろうということでした。
 
しかし、曲はゴーストライターであり、耳の聞こえる(と思われる)人が作っていた。
CDは10万枚も売れたそうですが、おそらく普通の人が作って普通に売っていたら1万枚も売れなかったでしょう。
残り9万数千人の人は、「耳が聞こえない作曲家」という映画を見て、それが素晴らしかったからサントラであるこのCDを買ったわけです。
映画を見なかったらCDなんて買わなかったよという心境なのではないでしょうか。
 
「耳が聞こえるという事実がこの作品の芸術的価値を下げた」というのは違うと思います。
下がったのはこの作品の芸術的価値ではなく、ゴシップ的価値です。
自分を含めた多くの人がこのCDを芸術的価値とゴシップ的価値を含めた両方から評価していただけという話です。
そしてそれを認めず「私は芸術的視点から見ていますよ!」という人がこのニュースを聞いてがっかりし、「自分はゴシップ的な価値も含めて評価していたのか」と気づいて二度がっかりするというのが今回の一連の騒動です。
 
ストーリーがついているものはついいいものとして見てしまいがちです。
目の見えないピアニスト。
家族の死を乗り越えた小説家。
しかし芸術的価値とゴシップ的価値を混ぜて考えてしまうと、本当に優れたものを見分けることは難しい。
ゴシップ的価値を含めないで評価をしろとはいいません。
チャイコフスキーがゲイでバーンスタインもゲイだから、バーンスタインの振るチャイコフスキーの悲愴はより味わいがあるというのは事実だと思います。
ただ、自分が何を元に評価をしているのかを見定めないと、芸術の真贋を見誤るかもしれませんね。 


THE BEST OF CINEMA MUSIC

THE BEST OF CINEMA MUSIC

広告を非表示にする