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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

何者でもない自分への憧れ

初めて行く繁華街で家族と買い物をしていた日曜日。

一緒に買い物をしていたのですが急な用事で別行動をすることになり2時間ほど空きが出来ることにました。
私の荷物は全て車の中で、持っているのはiPhoneと財布と手袋のみ。
カバンさえ持たずに街を歩くのはちょっと心もとない気もしましたが、自分が何にも属していない解放感がありました
いま自分は会社員でも父親でも指揮者でも無い、ただ一人の人間なのだと。

 

オレの宇宙はまだまだ遠い

オレの宇宙はまだまだ遠い

 

 

思えば私は何かに属したくてたまらなかったような気がします。

大学の時はサークル的なものをかけもちしたり、会社に入るため頑張ったり。
はてなブログだってそうです。
ブロガーになって色々な人とつながり、交流の輪に入りたかったのかもしれません。
何者でもない自分がイヤで、常に何かのコミュニティに入っていたかった。
そうすることで「◯◯のにょっきです」と言える何かを持ちたかったんです。
属すれば属するほど世界に認められている気がして。
 
しかし、属するという行為には責任も伴います
父親であれば父親らしく振舞わねばなりませんし、会社員であれば毎日決まった時間に会社に行く必要があります。
ただおしゃべりするだけのコミュニティであったとしても、顔を出しておしゃべりすることをやめてしまえばそのコミュニティからは外れてしまいます。
属するというのは自分を縛ることでもあります。
 
何も持たずに街を歩くことで、2時間だけですが私は何にも属さない何者でもない自分でいられた気がしました。
地元とは遠く離れた街。
多分自分を知るものは誰もいない。
私は今、何にも属さない。
 
何者でもないというのは思ったよりも気分がよく、いままで自分を留めていたイカリを外したように自由になれたような気がしました。
肉まんを買い食いしたり、ゲーセンでちょっと遊んでみたり。
普段なら絶対しないようなことをしてみるのがいちいち楽しくてあっという間の2時間でした。
楽しかったのですが、最後の20分くらいは少しさみしく、家族と落ち合った時には少しほっとしたのも事実です。
 
コミュニティに入るのって入る瞬間が一番楽しくて、あとは惰性ということがかなり多いと思うんです。
なんというか属していることのありがたみを忘れているというか。
そんな自分が何者かであることに疲れた時や何者かである時のありがたみを忘れた時には、全てに距離を置いてひとりになってみるのも悪くないなと思いました。

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