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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

「理解できない→価値がない」でよいのか

考え方

買おうかなーと思っている本の書評を見たくてAmazonでレビューを見てみたところ、星1つをつけている人が。

その理由が「文章が難しくて全くわかりませんでした」とのこと。

作品の内容を理解できなかったというのはその作品の評価になりえるのでしょうか。

 

C言語 ポインタが理解できない理由 [改訂新版] (プログラミングの教科書)

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理解できない、ということは往々にしてよくあります。

昔の大学生は西田幾多郎の「善の研究」をカッコつけて読み始めてみるも「なるほどわからん」と挫折を味わっていたそうですが、ちょっと背伸びをして見てみた、読んでみたものが理解できなかったということは誰しも経験があるのではないでしょうか。


では理解できないものはイコール良いものではない、のでしょうか。

もちろんそんなことはありません。

素人が西田幾多郎バルトークのすばらしさがわからなかったとしても、善の研究は哲学における名著でありバルトークのオケコンは20世紀を代表する名曲です。

 

良質なコンテンツに低評価が付いてしまうのはなぜか。

理由は二つあると思います。


ひとつは理解できないイコール低品質と思い込んでいる人が評価をしてしまうということ。

本来であれば理解できないコンテンツは低評価ではなく「評価不能」が妥当です。

Amazonであれば「評価しない」のが正解。

「私には理解できなかった!この本は悪い!」という人が評価をしてしまうと小難しい本や芸術は低評価の嵐になってしまいます。


もうひとつは理解できていると思い込んでいるが本当は理解できていない人が評価をしてしまうということ。

これは難しい。

「蔵に無造作に放置されていた陶器が実は古伊万里だった」というのはなんでも鑑定団あるあるですが、人って案外「私に評価できるもの」と思い込んで正当な評価をできていないことも多いのではないでしょうか。

無知の知と同様、理解できていないということを知ることは何かきっかけがないと無理です。


例外として「理解しやすさ」が肝となるコンテンツでは、理解できなければ低評価になるのも仕方がありません。

「わかりやすいWord2012」がわかりにくかったら叩かれて叱るべきです。

洗剤を買ったのに汚れが落ちなかった、と同じで実用の目的を果たしていないのですから。

ただこれはあくまで実用書の話であって、芸術一般や学問書においては基本的にわかりやすさはコンテンツのよさと直結しません。


まあ何が言いたいのかというと、Amazonのような評価システムが向いてるものと向いてないものがあるなあってことですよ。

 

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)

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月見月理解の探偵殺人: 1 (GA文庫)

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