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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

「仲良くしなさい」に感じる違和感

小学生のころ、先生によく「仲良くしなさい」と言われました。

友達とケンカした時。
苦手な人と一緒のグループになるのを嫌がった時。
自分に限らず、周りの友達もよく「もっと◯◯君と仲良くしなさい」と言われていました。
 
大人になって改めて思い出すとこの言葉には違和感を感じます。
誰にだって苦手な人や嫌いな人はいる。
「仲良くしなさい」という先生にだっているはずです。
嫌な同僚や上司と「仲良くしなさい」と言われたらどう思うか。
なぜ「仲良くしないといけない」のか。

 

「仲良くしなさい」は「またケンカして、どうしてあなたたちは仲良くできないの。仲良くしなさい」という文脈でよく使われます。

仲が悪いもの同士の間で、ケンカなどの社会生活の輪を乱す行動が起きた時に促される注意です。
当然先生もケンカしているもの同士が仲が悪いことは知っている。
そして「あいつ嫌い」という感情が簡単に覆せないのももちろん知っている。
そう考えると、この注意の本当に意味するところは

  • あなたたちが仲が悪いのは知っている
  • でもケンカをすることでコミュニティの輪が乱れて私やクラスメイトが迷惑しているでしょ
  • たとえ嫌なやつでも社会性を持って付き合いなさい
  • どんなに嫌な相手でも表面上は仲良くしなさい

ではないでしょうか。
そうとらえると、小学生にしては恐ろしくレベルの高いことを要求されていたような気がします。
 
中には本気で「お友達とは全員仲良くしなくちゃいけません!」と考えている教員もいたかもしれません。
しかし私は問いたい。
あなたはそうなのか、と。
小学校という閉鎖的な村社会の職場においてそれを真顔で言えるのであれば、マザーテレサのような聖人か、理想を夢見て現実を見ない赤毛のアンのどちらかです。
自分の心に嘘をついて博愛主義を語るのであれば、その注意は全く効果がありません、すぐばれます。
案外子供って嘘に敏感です。
本心からでない言動は心に響きません。
 
そういうわけで、私が感じていた違和感は「仲良くしなさい」は道徳的な注意に見えて社会性への注意だったということでした。

+++ 

ちょいと余談ですが、ケンカの仲裁の際に「仲良くしなさい」のようないさめ方は不味い手だと個人的には思います。
子供は相当にプライドの高い生き物です。
最初から喧嘩両成敗的な方向に持って行くと絶対に「俺は悪くないんだよ!向こうが悪いんだよ!」となります。
なのでまずは一人一人の言い分を聞いて「それは確かに怒っちゃうよね!」と賛同できる部分を探して賛同してあげるのが重要じゃないでしょうか。
そうやって心理的ウォールが外れて初めて「じゃあ何で相手が怒ったのか考えてみようか」という建設的な話に持っていけます。
 
もし「社会生活ではケンカしてはいけない」という社会性を身につけさせたいのであれば、同様にウォールを外してから

  • 怒るのも当然だよね
  • でもクラスメイトのみんなに迷惑もかけちゃったよね
  • そこは二人とも謝ろうか

と持って行くのが最善じゃないかなー…と思います。
私にそんなに大きな子供はいないので、それこそ現実を知らない赤毛のアンの理想論かもしれませんが。

繰り返して言いますが、子供のプライドの高さは半端じゃないです。
そこを先生の言うことは聞きなさい、と力で押さえつけると、まず子供たちは着いてきません。
教育には高度なコミュニケーション能力も必要です。
 
余談がすごい長くなっちゃった。
まとまらなくてすみません。
終わります。

 

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