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指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

意見をくれる人は全て味方、という考え方

2回続けてブログの使いかたについて書いてみました。

 

思考を洗濯するツールとしてのブログ - 指揮者だって人間だ。

表現したいのか、承認されたいのか - 指揮者だって人間だ。

 

さらに踏み込んで、なぜチラシの裏ではなく、はてなにブログを書いて公開しているのか、について考えてみます。

 

 

先の記事でも触れましたとおり、私はブログで承認欲求を満たそうとはしておらず、思考の整理のためのツールとして考えを文章に落としこむために使っています。

それではなぜ私はそれをプライベートな日記帳やチラシの裏ではなく、インターネット上のサーバにアップロードして公開しているのか。

それは思考の補正のためです。

 

私は編曲を年に何回かして、自分で指揮したりしています。

曲を脱稿する前にもちろん何度も何度もチェックするのですが、いざ奏者の手元に配ると「すいませーん、ここ音量の指示がないんですけどー」と穴が次々と見つかります。

いくらチェックすると言っても個人の力と時間では限界があり、皆の目にさらされて初めて分かる問題点がいっぱいあります。

 

思考もそうではないでしょうか。

自分一人で持って抱え込んでいるだけよりも、沢山の人に見てもらったほうが、より多くの意見がもらえて、思考がより正確で純度の高いものになります。

 

過去に自分のコメントが元で炎上してしまい「あなたの意見はここが違います」というコメントの嵐になったことも何度かあります。

しかし振り返ってみれば、そういう場合には大抵自分に否がありました。

考えに穴があったか、誤解を招くような言い回しをしていたか。

そういう場合でも「そうか、確かに誤解されるような表現だったな」と自分の一人では気づかなかった過ちに気づくことができ、公開してよかったなと心から思うのです。

 

たまに、理論をすっとばし感情的になって攻撃してくる人もいます。

以下の記事ではブックマークで「首をはねよ」タグまでいただきました(笑)

はてなブックマーク - エヴァ世代とハルヒ世代のあいだにある埋められない溝 - 指揮者だって人間だ。

こちらの意見を読み取らずに怒ってくる人は「こちらの意図を理解していないな」と感じるだけですので、特に腹がたったりはしません。

トマト料理のレシピの記事に「私はトマトが嫌いなんです!」と怒ってくるくらい意味のないものではないでしょうか。

 

自分が正しいと思って書いた記事が反論の嵐にあってしまうの恐れて、意見されると怒り出す人もいます。

しかし、煽りではない建設的な反論は個人を攻撃したものではなく、個人の「見解」への指摘です。

反論イコール筆者の人格否定ではありませんし、筆者が嫌いだから反論しているわけでもありません。

私自身、あまり持論にこだわりがないので、反論に「ああ、たしかにそうだな」と納得すればホイホイ自分の意見を変えます。

ディベートをやっているのではないので、持論を変えることによるペナルティはありませんし、自分が誤った考えを持っていたとしたら、その誤りを指摘してもらってむしろラッキーくらいの感じです。


「自分はこの考え方以外は認めない!」という固執を捨て、有益なコメントと無益なコメントを区別する軸を自分の中に持てば、考えを補正してくれるという意味ではネットの人々はすべて味方だと言えるんじゃないでしょうか。

集合知は素晴らしく、ひとりでは到底たどり着けなかったであろう見解が溢れるほどでてきます。

そうそう、この記事自体も、前回の記事でブックマークコメントとしていただいた意見を読んで「そうか、こういうことに対してはどう考えていたのだろう…」と自ら思考を掘り下げることで生まれた記事です。

 

ブログを書いている一番の理由は思考の整理なので、思考の補正というのはあくまで副次的な利益なのですが、自分の考えがより正確に純度が高くなっていくのを見るのは嬉しいもんです。

ということで本ブログではみなさんのコメントをお待ちしています。

賛同、意見、批判、反論、どしどしお寄せ下さい!

 

なぜあの人には「味方が多い」のか (PHPビジネス新書)

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女性を味方にする言葉、敵にする言葉 (PHP文庫)

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