指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

罪と罰と復讐

リーガルハイで死刑囚役の小雪が

「私は世間に殺されるの」
とこぼすシーンがありました。
 
誰が見てもこいつは悪いことをした。
人を殺すようなやつは死刑にされて当然だ。
そういう世論が高まると判決もそちらに傾いてしまう、という話の流れで出た言葉です。
 
世論に左右される判決もどうかと思いますが、それよりも「復讐心を持った世論」が最近とても気になります。
罰を決めるのは罪の重さだけであって、復讐心を加味してはいけないのではないでしょうか。

 

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罰の意義

 
そもそもなぜ「罰」は必要なのか。
私が考える主な理由は
 
  • みせしめとして犯罪を抑止するため
  • 犯罪者を更生させるため
 
の2点だけだと思います。
この2点でそれぞれ必要な罰の重さを計算し、より重い罰を与えることが裁判官の役目ではないでしょうか。
 
例えば万引きであっても更生に3年かかるのであれば懲役3年でいいし、弾みで人を殺してしまってもみせしめとして20年懲役が必要なら懲役20年でいいと個人的には思うのです。
実際には刑務所の収容人数とかもありなかなかその通りにはいかないと思いますが。

 

あの子のために復讐したい

 
問題なのは、罰を与える理由に
 
  • 復讐のため
 
を加える人が多いということです。
 
例えば小さい子供が誘拐されて一生心に傷を負った。新聞やテレビで事件が大きく報道されて、加害者がいかにまともじゃないかが強調された。ネットでは「信じられないわ……誘拐犯は死刑にしろ!」との声が上がっている。
 
このネット上の見知らぬ人が出した死刑判決は一体何に基づいたものでしょうか。
見せしめとしては誘拐による死刑は重すぎます。また更生の可否も十分な情報が出る前では判断できないはずです。
ここでの判決の一番の材料は「復讐心」だったのではないでしょうか。
この見知らぬ人は被害者の保護者としての立場に立って
「うちの子になにしてくれたんだ!お前なんか死刑だ!」
と主張しているのです。

 

意見を持たないヒーロー

 
これはなぜか。
理由は二つあると思います。
 
ひとつは、マスコミが過剰にドラマ性を演出した報道をすること。
被害者はよりかわいそうに。
加害者はよりひどい人物にすることで、過度なイメージを植え付けていきフラットな思考にどんどんバイアスをかけていきます。
いつだって正義のヒーローになりたい大衆は、加害者を懲らしめたいという欲求が強くなり「復讐してやる!」と被害者目線に立つのです。
 
もうひとつは、思いやりという教育をされてきたこと。
私たちは昔から「人の気持ちがわかる人間になりましょう」と教えられてきました。
その教えは大人になっても染み付いており
「人と同じ考え方をする人は正常だ」
「人と違う考え方をする人は異常だ」
と心の何処かで感じるようになっています。
この意思の無い同調が、マスコミによるドラマ演出により煽られて被害者(とその保護者)側にたった目で事件を見るようになるのではないでしょうか。
事件をまるで自分の子供にふりかかった事かのように感じた人々は復讐心を持った「死刑だ!」という判決を下すのです。
 

アイデンティティのなさが復讐心を生む

 
人の気持ちに立って考える、ということ自体は悪いことではないと思います。
空気は読めるなら読めた方がいいですし。
しかし自らの意見を持つ場合には、空気を読んだ上で、それに流されないフラットな思考を持つことが大事だととみに思います。
復讐心は自分の意見が持てないということの裏返しでもあるのです。
  
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