指揮者だって人間だ

晴れた日には洗濯を。

誠実にブログを書いていこう、と決めた

物書きの知人いわく

「驚かせたり、気持ち悪がらせたり、胸糞悪くしたりは簡単にできる。

 難しいのは笑わせること」

だそうです。

 

自分もブログや物書きを昔からポツポツしていたのでわかるのですが、自己表現をする一番原始的な動機って反応を楽しむってことだと思うんですよね。

自分が表現したことに対してレスポンスが欲しいのであれこれ書いたりするわけです。

好きの反対は無関心とはよく言ったもので、反応は喜びでも怒りでもなんでもいいんです。

自分の話した怪談で怖がってくれると楽しい。

自分が書いたアオリ見出しで怒ってくれるとうれしい。

 

しかしこれをこじらせると、ただただ感情を扇動させるだけの表現になる危険もあるんじゃないかと、最近よく思います。

ブログであれば目を引く過激なタイトルをつけたり炎上しそうな煽り記事を書いたり。

小説であれば無駄に残酷描写があったり鬱展開だったり。

上記の知人の話にもありますが、感情をむやみやたらに揺り動かすだけの話なら簡単に書けます。

読者がそれを見て何かしら反応してくれるのを楽しむんですよね。

 

確かに読者の反応は多ければ多いほど楽しいです。

それは自分もよくわかります。

「ふざけんじゃねーぞ」だけのコメントでも嬉しいですし。

 

ただ過剰に過激な話で観客を不快にさせてその反応を楽しむのは、クラスメイトにグロ画像をメールしてニヤニヤする中学生と変わり無いと思うのです。

それは自らの品位を下げるだけであって、何もいいことはない。

誰も反応してくれないことを恐れて「見て見て!」と自分の恥部を露出するのは狂気の沙汰です。

 

普段言えない愚痴をブログに書いて発散している人が一定数いるのもわかります。

どうしても他人の感情を煽りたくてしょうがないならそれはそれでよろしい。

ただ、物を書く人は「ウケなきゃ」と思ってはやりのキーワードを入れる必要はありません。

炎上しそうな話題を選んでアクセスカウンターにかじりつく必要もない。

(その気がないのに炎上しちゃうこともありますが)

確かにウケるのは楽しいけど、数100人に叩かれるよりかは2,3人に「よかったよ」と言われる方がよっぽど素晴らしいことだと思うんです。

そんな地に足をつけたブログを書いていこう、と決めました。

 

うん、この方向で行こう。

スッキリした。

 

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則

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